今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
「Z市の海には、宝物が沈んどる」
高校生1年生まで、7人家族でした。
ひいおばーちゃんが存命だったので、嫁姑が三つ巴で、
大人になってから振り返れば、結構互角の戦いを繰り広げておりました。
祖父と父は我関せずの姿勢を貫き通し、当時は歯がゆい思いをしたものの、
今ではそれが賢明であったと分かります。
さて、ひいおばーちゃんの話です。
太田胃散を愛用し、日清・日露戦争を乗り越えた強者です。
生粋のモンゴロイドのはずですが、若い頃はグラマー体型だったと思われ、
瞳がブルーグレー(そのDNAは父に引き継がれました)。
\ きゅるさんの目とほぼ同じ色 /
前掛けのポッケには常に少し湿気ったお菓子が入っており、
私が熱を出して寝込んでいると
「そ、サンタ(それ、サンタでも飲んで元気を出しなさい)」
と、ファンタオレンジを差し入れてくれました。
最終学歴は小学校の4年生。その世代としてはごく普通です。
「和泉式部の塚があそこの竹藪の東に…」(←実家のわりと近所にあった…なぜに)
故事については、なかなかの物知りでもありました。
ただし、時代系列が非常に大雑把。
「この川は昔、船が行き来しとった」
\この川です/
とても信じられません。
いつごろの話かと尋ねると、こういう答えが返ってきます。
「 昔 」
江戸時代でしょうか。
で、冒頭の言葉なのですが。
ひいおばーちゃんの語りを要約すると、こうなります。
1.「昔」、Z市の港はとても栄えていた。
2.多くの船が交易品を積んで、港に入ってきた。
3.贅沢品もたくさんあった。
4.あるとき大地震が起こって、港が海の底に沈んだ。
5.停泊中の交易船は、引き上げられることもなく沈んだままである。
「潜って探したら、ええもんが出てくる」
いや、潜りませんけどね。本当かなあ。
そんな話、他の誰からも聞いたことがない。
伊勢湾台風とか、あのあたりの時代の話だろうか…。
と、ぼんやり思っていたのですが。とんでもなかった。
明応7年8月25日
地上に残った部分が現在のZ市らしい。
明和7年って、何時代やねん!
「昔」どころの話やないやろ!
それより、ひいばーちゃん、
お宝より大事な教訓とかは、ありませんのやろか?!