やれることだけやってみる

マイナスからの畑作り。草と戦い、疲れたら猫といっしょに昼寝をします。

新元号発表の瞬間、自然を愛でていました

 

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もう、花のシーズン終わっちゃったの?

ってくらい、まばらな咲きぐあい。地面に花びらが落ちていませんのでこれからです。

小さい頃から見続けてきた桜の木です。

実家から少し離れた畑にあって、そばに小川(農業用水路)が流れています。

 

  \ こんなに小さな木だったんだなあ /

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保育園の年中さんのころだったと思うのですが、

『謎のお花見事件』というのがありました(←おおげさな表現)。

ちびっ子だった私が「ちょっと花見に行ってくる」とどこかに出かけたのです。

白いバスケットに、ヤクルト2本とかっぱえびせんを詰め込んで。

 

母は不思議に思いながら「行ってらっしゃい」と送り出したそう。

ヤクルトが2本。2人分?

どこに行くのか、誰といっしょなのか。

母もしっかり聞かなかったらしい。

夕方前にはきちんと帰ってきたようです。

 

園児が『花見』。違和感ありまくり。

私のおぼろげな記憶によると…。

花見をしたのは、この小さなひょろんとした桜の木の下です。たぶん。

バスケットにヤクルトとおやつを入れたのも覚えています。

誰かと約束したような気もするし、一人だったような気もします。

 

でね、ここからはファンタジーな空想です。

ここに流れている小川、昔はもう少し幅も広くて水量も豊かだったのです。

私がいっしょにお花見をしたのは、この小川の主だったのではないかな、と。

今はオフシーズンなので水はありません。

つまり、もう自然のままの『川』じゃないのです。

 

ーー  川は干上がると、龍になって天に昇る。

 

どなたに聞いたのだったか。

地上での役目を終えた神様が、天にお帰りになるんですって。

もうすぐ地上を離れる神様と、お花見をしたのかもしれません。

『七歳までは神の内』

乳幼児の死亡率が高かった時代の考え方です。

早世した我が子を諦めるため、心の痛みを慰めるための方便でもあるのでしょう。

 

でも、小さな子って、大人よりも不思議なものと近しい気がするのです。

小さな私は、今の私には感じ取れないものと交流していたのかもしれません。

 

桜の右ナナメ向こうに広がるのは、ウチの放置畑。

大人になった私には、こっちの方が目下の大問題なんですよねえ。

もうちょっと、どこかにロマンの欠片が落ちていないかなあ。

 

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足元にささやかな発見。在来種のタンポポシロバナタンポポです。

鮮やかな黄色は元気が出るし、クリーム色のタンポポは癒し効果があっていい。

 

今週のお題「桜」