まだ幼稚園の年少組だったと思う。
うららかに晴れたその日、
「花見に行ってくる」
そう言い置いて、私はお気に入りの白いバスケットを手に家を出た。
ちょうど桜が見頃を迎えていた。
「風流なことを考えるなあ、と思ったわ」
桜の季節になると、母は思い出したようにその話を持ち出した。
この近辺には桜並木などない。公園もない。御座を敷いて宴を楽しむ者たちもいない。
あちらに一本。こちらに一本。
桜の木は、それぞれがそれぞれに銀褐色の枝いっぱいに花をつけ、無心に白い花びらを散らしている。
「ヤクルトとね、かっぱえびせんを持ってね。ふらっと出ていくんだもの」
覚えている。
そんな小さな頃の記憶があるのか、と疑われそうだが。
大人が話すのを聞いて、それを自分の記憶であるかのように錯覚している、ということはあり得る。反論はしない。
ただ、バスケットの中身については、もう少し付け加えることができる。
ヤクルトは二本。かっぱえびせんの小袋の他に、クッピーラムネとチョコレートを入れた。アポロチョコだったか、ベビーチョコだったか。そこまでは覚えていない。
花見に必要なのは、飲み物とおやつ。おやつは味が偏らないよう、小さな頭でバランスを考えて選んだのだ。
しかし、そこから先の記憶は無い。
まだ4歳かそこらの子どもが、ひとりで花見?
妙ではあるが、大した話ではない。子どもはときに、妙なことを思いつくものなのだ。
そのうち話題にも出なくなり、思い出さなくなっていった。
たまたま縁あって、『見るひと』に出会った。
「あなた、龍神と花見をしたことがあるでしょう」
その人は突然切り出した。
「うんと小さい頃です。心当たりはありますか?」
すぐには返事ができなかった。その人は続ける。
「『龍』は『流』。『流れ』です。川があって、龍がいる」
しかし川が川でなくなり、龍の居場所はなくなった。
「その春は、龍神がそこで過ごす最後の春だったようです」
花を見送ってから、龍は去った。
「あなたと過ごした時間は、とても楽しいものだったのでしょう。親しみと感謝を感じます」
その人は口を閉ざした。
桜が咲いている。
無数の小さな顔が風に揺れ、一斉に私の方を向く。
多分ここだ、と思う。
『見るひと』の話を聞いた後も、あの日の記憶が蘇ることはなかった。でも、あの人の話を信じるならば、私が花見をしたのはここだ。
私が生まれる前、もっと昔。ここは子どもたちが泳いで遊べるくらい大きな川だったという。
もし、ここに龍がいたのなら。ともに戯れ、見守り、どれほどの年月を過ごしてきたのだろう。
ーーずっと近くにいた。ずっと見守ってきた。
並走する道路を整備するたびに川幅は狭くなり、今では細い水の通り道になっていた。
花影を映すほどの水はない。
古びた石橋がかかっている。ここが川であった頃の名残だ。対岸は舗装されておらず、土手のままだった。
橋を渡って、野の草を踏む。緑が匂い立つ。
桜の花は下を向いて咲いている。
花びらが散りかかり、私の頬にはりついた。
今年の桜は、いつもより少し花色が濃い。
・・・・・・・・・・・・
で、去年その場所で撮った桜がこれです(°_°
^・ω・^; まって、実話なの?
さあて、ね。
《商品リンク》ご存じない方のために。