やれることだけやってみる

マイナスからの畑作り。草と戦い、疲れたら猫といっしょに昼寝をします。

令和二年、「方丈記」を読んで養和の時代を思う。

最近、災害が多すぎます。

コロナ(COVID-19)の流行があって、

地震があちこちで起こっていて、

さらに水害です。

まんま、「方丈記」です。

※「方丈記」:鴨長明鎌倉時代の随筆。

 

=「方丈記」に書かれている災害=

1*安元三年の大火(1177)

2*治承四年の竜巻(1180)

3*福原遷都(1180)

4*養和の飢饉(1181~2)

5*元暦二年の大地震(1185)

 

ナンバーは私が適当につけました。

3の「遷都」は災害なのか。

現代の感覚では分かりません。

ですが当時、多くの人にとっては降って湧いた災難でした。

5の「大地震」については、2011年の『東日本大震災』の折に話題になりました。

ご記憶の方もおられるかと思います。

今の状況を見ていると、4の養和の飢饉を思い出します。

養和元年から二年にかけての災害の記述です。

 

引用しつつ、ざっくり現代語訳でご紹介します。

原文を読むのが面倒な方は、

黒い文字の部分を流し読みしてください。

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☆*☆*☆*☆*☆*☆

また養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覚えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。

(また養和のころだったかな、あんまり昔ではっきりは覚えていないけれど、二年もの間、世の中に食べ物がなくなって大変なことがありました。)

 

或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうち続きて、五穀ことごとく実らず。

(ひとつには春と夏に干ばつで水不足、もうひとつには秋や冬に台風や洪水などよくないことが続いて起こって、穀物が全く実りません。)

 

むなしく春耕し、夏植うる営みのみありて、秋刈り冬収むるぞめきはなし。

(ただむなしく春に耕して夏に苗を植える作業だけがあって、秋に刈り取って冬に納め蓄える賑わいがありません。)

 

これによりて、国々の民、或は地を捨てて境を出で、或は家をわすれて山に住む。

(こんなわけで、あちこちの国で民たちが、ある者はその地を見捨てて国境を越えてどこかへ行ってしまったり、ある者は家を捨てて山に住んだりしました。)

 

さまざまの御祈りはじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしなし。

(さまざまなご祈祷が始まって、普通では行なわれない呪法なども行なわれるけれど、一向に霊験はありません。)

 

京のならひ何事につけても、みなもとは田舍をこそ頼めるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。

(都の通常のあり方として何事につけても、全部もとは田舎を頼りにしているのに、ぷっつりと田舎から来るものがなくなったので、そんな体裁ばかりにも構っていられましょうか。)

 

念じわびつつ、さまざまの宝もの、かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目見立つる人もなし。

(ぐっとこらえて嘆きながら、さまざまな宝物を、片っ端から捨てるように売ろうとするけれど、全然目をとめる人もいません。)

 

たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。

(たまたま交換してやろうという者は、金銀財宝の価値を軽くして、穀物の価値を重くします。)

 

乞食道の辺におほく、うれへ悲しぶ声耳に満てり。

(物乞いが道ばたにたくさんいて、憂い悲しむ声に満ちています。)

☆*☆*☆*☆*☆*☆

 

…つらい(ー_ー;

読んでいるだけで気が滅入ります。

とにかく食べるものが全然ありません。

どれだけ金銀財宝を積んでも、交換できないのです。

では、次の年の状況です。

 

☆*☆*☆*☆*☆*☆

さきの年かくの如くからくして暮れぬ。

(前の年は、こんな感じでやっと年が暮れました。)

 

明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまさへえ疫病うちそひて、まさるやうにあとかたなし。

(翌年は立ち直るだろうかと思っていたのに、それどころか流行病までが加わって、前の年にまさるくらいどうしようもありません。)

 

世の人みな飢ゑ死にければ、日を経つつ窮まり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。

(世の人がみんな飢えて死んでしまって、日を追うごとにひどくなってゆく様子は、『少水の魚』のたとえがぴったりなのです。)

 

 ※原文は『日本文学大系』をもとにしました。

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大災害のあとに、疫病です。

疫病とはつまり、

伝染病です(ー_ー

コレラとか、赤痢天然痘、インフルエンザ…。

そういうものです。

食べ物がなくて弱っているところに、追い打ち。

 

『少水の魚』

少ない水の中で魚がピチピチ苦しむもがく。

もう死が目の前に見えている。

 

人々の苦しみがそんなふうにたとえられます。

他の人を助ける余裕は、誰にもありません。

この時代、そのあとさらに

『元暦の大地震』がやってきたのでした。

 

現代ならば、どうでしょう。

大きな災害が起これば、

消防、レスキュー、自衛隊、ボランティア。

さまざまなところから手が差し伸べられます。

それでも不足はありますけれど、

善意の気持ちが各地から寄せられます。

昔とは比べものになりません。

 

しかし、ですよ。

今はまたコロナ感染者が増えている時期です。

コロナのような疫病が入り込んできますと、これは。

ボランティアさん募集は難しい(ー_ー;

 

災害のあとは、衛生状態も悪くなります。

そこに他所からたくさんの人が訪れますと、

双方にとって、危険あり。

助けたくても手を差し伸べられない。

それが分かっているから、

「助けてくれ」と、なかなか口にできない。

とても、もどかしい事態になっています。

 

そしてさらに、

時おり聞こえてくる地震速報の音…。

 

私たちは、思いやりの心をなくさずにいられるかな。

それとも混乱に突っ込んでいくのかな。

『人間』が試されている気がします。

 

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