やれることだけやってみる

マイナスからの畑作り。草と戦い、疲れたら猫といっしょに昼寝をします。

本を読まない人が増えているのに、小説サイトへの投稿は増えているという不思議。

昨夜、友人からLINEでこんな疑問が。

 

🐤最近の若い子は本を読まないという記事。

なろう小説やピクシブにも小説投稿はひっきりなしだというのに。

読まないものなのだろうか。

  ↓ ※添付記事

toyokeizai.net

 

まあ、昔から言われていましたが。

両極端にはなっていると思う(°_°

 ☆ 読む人はむちゃくちゃ読む。

 ★ 読まない人は全く読まない。

プラスマイナスでいうと、トントンだと思います。

 

で、書籍はお高いです。

お財布事情もありますから、

たくさん読む人は『買うより借りる』

手元に置きたい本だけを購入します。

出版業界には厳しい状況でしょう。

 

Q.なぜ本を読まないの?

 

その疑問はくるっと裏返しになって戻ってきます。

 

Q.なぜ本を読む必要があるの?

 

本を読まなくても、日常生活には差し支えありませんしね。

わざわざ書籍を開いて読むのは

 ◇ 面倒。

 ◇ 時間かかりすぎ。

 ◇ 楽しくないし。

他に楽しいことがいっぱいあるのに、

貴重な時間を割いてまで、

なんでわざわざ本を読まなきゃいけないのか。

読まない人からすると、そっちの方が不思議です。

 

ここからは、私の勝手な解釈です。

ご不快に思われたら申し訳ありません。

 

▇ 読書とは他人の言葉に耳を傾けること。

文字を通して語りかけてくる相手は見ず知らずの赤の他人です。

しかも、目の前にいるわけではありません。

向こうから、一方的に語りかけてくる言葉を受け止める。

共感しても異論があっても、伝えるすべはありません。

疑問にも答えてはもらえません。

『いいね』ボタンもないですし、コメントも残せません。

もどかしさも、感動もすべて

その場では、自分の内側にしまっておくしかない。

ある程度の忍耐が必要になるのです。

 

で、唐突に思い出しましたよ。

国会中継! Σ(°△°

人の話を最後まで傾聴するのは結構難しいんです。

いい歳こいた大人であったとしても。

 

▇ 読書とは孤独な愉しみである。

友だちと一緒に『ウォーリー』を探すケースは横に置きます。

活字が並んでいる書籍でも漫画雑誌でも同じこと。

本を読んでいる間は、ひとりぼっちです。

たまに独り言を呟いている人を見かけますが、

だいたいは相当時間を沈黙の中で過ごします。

『沈黙』や『孤独』が苦手な人はつらいでしょう。

 

さらに今の時代、

一人になれる時間はどんどん削られつつあります。

常に人と繋がっていることを要求されます。

読書は贅沢な趣味になっているのかもしれません。

便利ですが、窮屈な世の中ですねえ(ー_ー

 

・・・・・・・・・

*本やマンガを読むより楽しいことがある。

 (昔はテレビ。今はゲームかな)

*必要な情報はすぐネットで手に入る。

    +

*まとまった時間がとれない。

 

そりゃ、読書人口は減りますよ。

でも『実用的』な書籍は売れているようです。

 「〇〇のための法則」

 「〇〇をつかむために」

 「明日から使える〇〇術」

それは『必要だ』と判断されているのでしょう。

楽しむために購入されているのではなさそうです。

 

★*★*★*★*★*

 

で、もうひとつの疑問です。

本を読まない若者が増えているのに、

小説を書く若者が増えているのはなんで?

 

昔から一定数いましたが、発表の機会は少なかったと思います。

同人誌を作るのにはお金がかかるし、売りに行くのもひと苦労です。

行ったところで、ほとんど売れないし。

 

ネットやSNSのおかげでハードルが下がりました。

書き手にとってはとてもありがたい。

なにより投稿すれば

 

▇ すぐに読者の反応が見られる

いい反応ばかりじゃないでしょうけどね。

『++大賞』とかに応募しますと、

結果が出るまで、ものすごく待たなければなりません。

応募方法が紙原稿郵送だけだった時代は、

渾身の作でも入選しなければひっそり消えるだけ。

審査担当以外の人の目に触れる機会はありませんでした。

 

どんな反応でも、人から感想をもらえるのは嬉しい。

励みになります。

 

そして読んだ人も、

「あ、これなら書けそう」

と思ったりする。

投稿には審査もありませんし、

 

▇ 書けば誰かに読んでもらえる

 Web小説には詳しくありませんが、

投稿されている作品はきっと

 ~本格的なものから、ほにゃららなものまで~

完成度としてはグラデーションじゃないのかな。

失礼な表現をしてしまいますが、

たとえ交換日記に毛が生えたようなものでも、

感性の合う人の目にとまるかもしれない。

自分の作品を認めてくれるかもしれないのです。

 

ブログだって、インスタグラムだって。

アップすれば誰かが見てくれる。

アクセス1であろうとも(°_°

いえ、たくさん見て頂ければ嬉しいですけれど。

始まりは『1』なんですよ。

『0』が『1』になったときのワクワク。

 

 誰か読んでくれたよ!

 どんな人かな~。

 楽しんでくれたかなあ。

 

いわゆる「承認欲求」が満たされるわけです。

 

 もっと読まれたい。

 もっとみんなに楽しんでもらいたい。

 

そんな欲が出てきたら、きっとその人は

よりよい作品を生み出す努力をするでしょう。

その欲を世間は向上心と呼ぶ(°_° 

 

ネットだけでは拾えない資料もあります。

書籍を読み込む機会が増えるかも…。

 

でも、ですね。

他人の話に耳を傾けることができる人は、

自然や周囲のものから何かを読み取れる人は、

読書と同じだけのものを得ていると思うのです。

 

そして、今は本を読む習慣がなかったとしても、

気の合う書物に出会えて、少しの時間が手に入れば、

するんと本の世界に入り込めると思うのです。

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